前から書いているとおり、自室の大掃除をしています。
捨てるものが沢山でてきました。
厳密に言うなら、「捨てたくないけれど捨てなければならないもの」が沢山。。です。
ついつい、思い出として保管しよう、と思ってたまってしまい、
だからといって、思い出に浸りながら、ひもといて見直すことなんて
私はしないんです。そういう時間もないし。
だからといって、「処分する」行為は、「処分されようとしているモノ達」にまつわる
さまざまな事物、人間関係・人間模様などなどを「否定する」行為になるかと思い、
そうなるのがいやだし悲しくなるのを怖れて、今まで見ないふりをしてきました。
でも、いざ思い切って捨ててみると、ほんとにほんとに、新しい景色が見えてくるし
捨てたからといって、べつに先に書いた内容を否定することにならない、ということが
身をもって理解できました。
思い出は色あせずにずっと思い出として私のココロに残っています。たとえモノが無くても。
ずっと前、でかいRが良い事を言ってました。
思い出に残したいシーンをビデオで撮る事をしない人間でしたが、それはなぜか聞いたことがあったんですね。
そしたら、へ~~このヒトがこんな感性だったのか~ってびっくりしたんだけれど
「思い出にしようとか言って、ビデオとか写真に夢中になって、レンズを通して見たために、
肉眼で大事なところを見逃したくないから」
なんだって。 なるほどね~~って思ったものです。
で。今回。
ビー玉とか、きれいなクリスタルみたいなものを集めるのがスキだったけれど、
ずっとしまいこんでいました。
このプラスチックの入れ物は、もともと、ハイドロカルチャー(水栽培)のために買ったんだけれど
いつの間にかやめてしまって、10年以上経ってます。
今回、こんな風にまた利用しました。
それだけ私にも、心身ともに余裕がでてきたのかな(笑)
それもすべて、自室をキレイにしたおかげだと心底思っているのです。
キャンデイミントにワイヤープランツです。
[いいですね]
思い出ですか・・・思い出って・・・同じ出来事に出会った人でさえ
それぞれ思い出(記憶)って違うんだよね・・・だから・・・
写真やものなど・・・共通のものを懐かしんで見ていても
人それぞれ・・・違うんだよね・・・年数がたつと褪せちゃったり、または
もっと着色されたり、その人の中でも違ってくるから。
でも、だんだん事実とちょっと違うくなっても、共通の思い出をずっと語れる人がいるということは幸せなことだよね。
最近父を見てそう思います。昔を懐かしんでいる姿がしあわせそうです。
でかいRさんとちょっと似ているかも知れませんが
わたしも娘の新体操の試合とか・・・ビデオ持ってても、やっぱりジカ目で見ちゃいます。なんていうか・・・ビデオを通して見ちゃうと、見たいものを見ること意外に、作業が入るから やっぱり文字通り間接的だね・・・焼きつき方が違うもの・・・
でも、今はどちらをもいっぺんに楽しめる時代だから、楽しまなきゃね。
投稿情報: ドコモダケ | 2007年7 月21日 (土曜日) 00時22分