今日21日は、父が病院を転院する日だった。
母だけでは心細いというし、いつもマイカーを出してくれる妹は、今日はどうしても仕事の都合で休めない、
だから私が有休をとって、母に付き添った。
東京23区のはずれに住んでいる末妹が、朝一番で電話してきた。
今日転院って聞いたけれど、行かれなくてごめんね、また時間作って行くから、よろしくね。
末妹も、マイカーを出してくれる妹も、結婚して相手が居る事だ、実家の事ばかりで用事は頼めない。
末妹も遠いし、婚家の方で色々多忙だから、いざと言うとき以外は来て貰うのは止めよう、と母と決めていた。
昨日の父は、帰宅できるものと思っていたのに「裏切られた」せいか
とても機嫌が悪く、良い返事をしない。とのことだった。母と中妹に聞いた。
せっかく、お世話になった先生・看護師さんたち・PTさんが全員代わりばんこに挨拶に来てくれたのに。
でも、昨日母が一生懸命説得して、ようやく納得したらしく
今朝は、お世話になったみなさんひとりひとりに、挨拶をした。
看護師さんたちはほんとにどの方も親切で優しく、「さびしくなります、○○さん」と父に言った。
父は、みなさんから可愛がってもらい、苗字ではなく、名前で呼ばれていた。
沢山しゃべることが出来た当初には、担当になった看護師さんたちに
いろいろ話していたらしく
「今日も、"いつもありがとう、お疲れ様。疲れているだろうから早く帰って休んでね"なんて言ってくれたんです。」と
代わるがわる私や母に報告してくれていた。
父がそういうことを皆さんに言っていたなんて。私も嬉しかった。
専門業者の「介護タクシー」の男性が、ストレッチャーを持ってきて、父を乗せてくれた。
ナースステーションに、母と私が「それではみなさん、本当にお世話になりました」と挨拶をしたら
なんと、そこに居合わせたスタッフだけではなく、色んなところから次々に大勢のスタッフが現れて見送ってくれた。
それもものすごい人数だった。
「○○さん、あちらの病院に行っても、頑張ってくださいね!」など握手してくれたり手を振ってくれたり。
母は感激して涙ぐんでいた。
さて、新しい病院まで介護タクシーで行った。
今度は国道246沿いの、去年できたばかりの綺麗な病院だった。
今までの病院も建て直して10年くらいにはなるけれど、外観もとても綺麗だったが、今度の病院は、高いだけあって
それ相当に綺麗だった。
高い病院を選んだのではなく、ギリギリラインをケースワーカーさんにお願いしたら、ここの病院だった。
これ以上安いところは、「川向こう」に行けばあるかもしれないけれども、空きがあるかどうかは不明だった。
でも、見舞いに通う側からすれば、「多少高くてもより近い方が疲れなくて良い」のだ。
今までは歩いて行かれたが、今度は、歩けなくは無いけれども、さすがの私もバスを使う。
介護タクシーの男性が、父を指定の病室に連れてきてくれた。
そこで彼は言った。
「私は長い事この仕事していますが、今までにあんなに大勢のスタッフに見送られて退院する患者さんを
見たことがありません、●●さん、これはもう、ご本人とご家族のお人柄ですよ。」と。
そうなのだろうか。
でも、もしそうであるならば、スタッフと私たち家族や父自身が、心から交流ができていた、ということだと思う。
そう思うと、熱いものがこみ上げてきた。
新しい病院の担当医の先生も担当の看護師さんも、とても良さそうな方だった。
父は、できるだけ早く帰宅したいし、私たちも、費用の問題があるから
自宅介護ができるくらいに回復したら退院させたいという旨を伝えた。
家族が大変になることは目に見えているけれども、とにかく医療費が高くてそんなことは言ってはいられない。
こんなことは父がまったく元気だった3年くらい前までは他人事だった。
介護認定を受けて、デイホームへ通うようになった頃から、少しずつ意識しはじめた。
寝たきりになると、あっという間に老いる。
去年の12月半ばまで、テレビを見たり、ラジオを聴いたり、新聞を隅から隅まで読んだり
クロスワードパズルをしたり、孫と将棋を指したり、一人麻雀をしたり、
そんなことをしていた父が、こうなるなんて思ってもみなかったが、現実はこうなのだ。
これは、同じ立場になったら、誰でもがこうなるのだ、順番に。
夏に弱い父なので、夏を越して、涼しくなった時、タイミング良く、状態も良かったら退院だ。
介護疲れで母に倒れられたら、家はパニック状態になるから、絶対にそれは阻止しなければならない。
二人の妹とシフトを組んだり、家に住んでいるメンバーたちの力も借りて、
あまり深刻にならないように、「ごく普通に」介護しながら生活していきたい。
27日は、鼻からの管を取って、ペグ(胃ろう)造設だ。上手くいくと良いな。